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輪廻転生と自己犠牲

さてさて、眠くなるまで書くよ!
次に語るのは、ラルク楽曲の歌詞についてです。


ラルクは、メンバー全員が曲を作ることができる珍しいバンドです。*1でも、歌詞は殆ど、9割がたボーカルのhydeがひとりで書いています。


hydeの詞は、絵画みたいだなって思います。


というのも、hydeは昔画家を目指していたこともあったみたいで、すっごく絵が上手なんですよ。何度か彼が描いた線画を見たことがあるんだけど、ほんとに上手い。そのせいもあってか、今はどうか知らないですけど、初期は歌詞もスケッチブックに鉛筆で書いて作っていたみたいです。だから、hydeの詞は絵画的っていうのは、まあ比喩もあるんですけど、その名の通り絵を描くみたいに詞を書くひとなんです。


絵画には、明確な説明がありません。同じ絵を見ても、それを「美しい」と感じるひともいれば「寂しい」と感じるひともいるだろうし、また幸せな気分のときは「綺麗」って感じても落ち込んでる気分のときは「怖い」って感じるかも知れない。同じ絵なのに、見るたびに受け手の印象は変わる。hydeの詞も同じです。物語読解の基本(と中学生の時に国語教師が言ってた)である5W1Hをできる限り取り払ったような、誰のこころにも何かしらストンと響く詞。聴くたびに、印象の変わる詞。そういう詞が多いなあと、ラルクの曲を聴くたびに思います。


でも、そんな絵画のような詞の中にも、この20年一貫してhydeが描き続けているテーマが存在すると思うんです。それが「輪廻転生」と「自己犠牲」。


例えば割と有名(だと思われる)「Link」には、こういう詞が出てきます。


たとえこの身体が いくら燃え尽きてもいいさ
君に捧ぐなら
いつか生まれ変わる 世界がその目に
届くといいな


あと、私が好きな初期のアルバム曲「I Wish」では、こう言ってる。


祈ってる僕なんかどうなっても
君がいつまでもいつまでも
幸せでありますように


他にも、「生まれ変わり(る)」とか「僕がどうなっても」みたいな詞が、繰り返し繰り返しラルクの曲には出てきます。これってつまり、hydeの人生観というか、彼というひとを形成している根本の部分にずっとある永遠のテーマなんじゃないのかな、って思うんです。
現世ではうまくいかないことがたくさんあるけれど、そこでは「僕」を犠牲にして「君」が幸せになればいい。来世で、ふたりで幸せになれるならいい。そういうテーマを、ことばやメロディを変えて繰り返し歌っている、ような気がする。私は「ぼくの地球をまもって」で育った人間なので、前世物がすっごい好きなんですけど、だからhydeのこういう詞に感銘を受けてうわあああすごいいいい!って思っちゃうんですけど、これって書いてる本人はどういうつもりなのかなあ、って考えると、ちょっと胸が苦しくなります。


でもね、新曲の「GOOD LUCK MY WAY」で彼はこう言ってる。


移り行く世界の 片隅で君に会えてうれしい
溢れそうな想いを 言葉にできなかったよ
いつかまた会えたら もっとうまく伝えられるかな
はるかな虹を越えて
GOOD LUCK MY WAY 信じる道へ


移り行く世界(=現世)で出会った「君」とは、一度は別れてしまうんだけど、でもまた虹の向こうで会おうって言ってる。「虹の向こう」っていうのがただの未来のことなのか、それとも来世なのかはわからないけど、でもここに「自分がどうなってもいい」っていう悲観は一切感じないんですよね。僕は僕で頑張るよ!みたいな、前向きな意志を感じる。
この曲はハガレンの映画の主題歌だし、当然ハガレンの世界観を意識して書いた部分もあると思うんですけど、でも、20周年っていうお祝いの年に、こんなに前向きな曲を書いたことが、20年かけてこういう風に考えられるようになったことが、なんかなんか、凄いことだなって思うのです。

*1:ギター、ベースが作れるのはともかく、ドラムが曲を作ってるバンドってあんまりないんじゃないのかしら……。