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三宅健というひと

V6 think

お星さまたくさん、ありがとうございます。

先日書いたV6コンの感想の続きになってしまうのですが、今日は三宅健くんについて語りたくてやってきました。
また随分とJUMP担さんには馴染みのないひとかもしれませんが、良ければお暇な時にでもお読みください。


三宅くん(私は彼を呼ぶ時に、健くんとか健ちゃんとかみあけさんとか色んな呼び方があるのですが、今回は三宅くん呼びに統一しようと思います)は、私の元担当さんです。具体的に言うと、2005年の10周年くらい〜2009年くらいまでの期間、私は三宅担を名乗っていました。
担当になった理由はもうよく覚えていないのですが、V6もJUMPと同じく、やっぱり先にグループ全体を好きになって、じゃあ誰担になろう?と思った時に白羽の矢が立ったのが三宅くんだったのです。坂本くんに「仕方ない奴だな〜」と苦笑され、長野くんに「いつまでも子どもみたいだね」と微笑まれ、イノッチに「健ちゃん可愛い〜♥」と甘やかされ、剛つんに「三宅、うざい!」と愛ある突っ込みをされ、岡田に「どっちが年上…?」と困惑されながらも、常にV6の中心にいて皆を笑顔にさせている三宅くんは、V6のかすがいだ!と思いました。「子はかすがい」という言葉がありますが、正にそんな感じで、大きな子どもである三宅くんのお世話をすることによって、V5の絆が深まっていったような気がしたのです。こんなにメンバーから愛されている三宅くんを通して見るV6は、きっと素敵だろうなと思って、三宅担になりました。


でも、いざ担当になってみると「好き」という感情ばかりではいられません。だんだんと嫌な部分や疑問に思う部分も出てくるし、もどかしい気持ちもあるし、それでもやっぱり「好き」という複雑な乙女心が発生するわけです。私の中に生まれたそのもどかしさは、三宅くんの素直さ・純粋さ・頑固さに起因するものでした。子どものようにはしゃぐけれど大人のように達観していて、綺麗なものしか知りませんみたいな顔してきっと芸能界の裏側とか大人の事情とか汚い部分もちゃんと把握していて。三宅くんのことがよくわからなくなってしまいました。


「アイドル」って、何でしょうか?
アーティストでも、ミュージシャンでも、ダンサーでも、役者でもない。私は、それら全てを咀嚼して理解して、自分の身体やキャラクターそのものまでもを材料として使って表現する「総合芸術者」だと思っています。そして、V6には割とその考え方が根付いているとも。というか、V6のパフォーマンスを見て私はこういう結論に行きついたんですが。
しかし、これはあくまでパフォーマンス面だけの話です。三宅くんは、多分もっとプロトタイプな「アイドル」像を持っているのではないかなあと、ずっと思っています。トイレに行かないし恋人もいないし、汚いことはしない、そんな、まるで80年代のアイドル全盛期の頃のような。「会いに行けるアイドル」が人気を得、アイドルがどんどんファンに近づいている昨今、ちょっと時代遅れと思わないでもないほどの、典型的な「アイドル」。三宅くんはそうありたいと思っているのではないか。そして、多分世間一般的には、三宅くんは限りなくその「アイドル」像に近いアイドルです。
三宅くんがそうあれるのは、彼の人懐っこいキャラクターや童顔な見た目など先天的な才能によるところも大きいのでしょう。でもそれ以上に、私は彼を努力のひとだと思っています。本当の三宅くんは多分もっと不器用で、情けなくて、等身大の人間。汚い部分も少なからずある、普通の人間。


三宅くん担当になって、彼を通してV6を見ていくうちに、私は彼のそういう部分に気付いてしまいました。そうして、一体いつから彼はこんなにも重い「アイドル」像を自分に強いてしまったのだろうと悲しくもなりました。ジャニーズ事務所に入った時? 剛くんの隣に並んだ時? V6としてデビューした時? いつからだかは分かりませんが、彼は見ているこっちが辛くなるまでの真面目さでもって、いつだってファンの前では完璧な「アイドル」たろうとしていました。


2010年に発売されたアルバム「READY?」に収録されている三宅くんのソロ曲のタイトルは「“悲しいほどにア・イ・ド・ル”〜ガラスの靴〜」というものです。このタイトルを最初に聞いたときも、どうしてこのひとはこんなにも自ら重いカルマを背負おうとするのだろうと悲しくなってしまって、かっこいい歌なんですけどなかなか好きになれませんでした。特にここ数年は、三宅くんも30歳になって、良い感じに肩の力が抜けたというか、そういう頑固なまでの「アイドル」像を自分に強いている感じはしていなかっただけに、ここに来てまだこんな曲を……!と驚きもしました。
でも、今回のコンサートで、三宅くんがソロコーナーでこの曲を歌っているのを見ながら、私は、何となく今までとは違う感情を覚えました。三宅くんは頑固で素直で不器用なひとだから、一度こうだと決めた道をなかなか変えないし変えれない。時に痛々しいまでに完璧な「アイドル」像を私たちの前に提供しようとし続けてくれる。でも、ここ数年で私が彼に感じていた変化も確かに間違いではなくて、何て言うか、彼はやっぱり凄く精神的に成長したんだなあと思いました。そういう、自分の不器用な部分も全て受け入れて、包み込んだ上で、それと向き合いつつ等身大で行こうとしているような印象を受けました。


以前Twitter上で、このような呟きをしたことがあります。

10代半ばの少年少女たちの人生を売り物にするというのは随分残酷で、それにお金を払っている私たち大人、という構図は随分とグロテスクだなあと思うんだけど、闇があるから光があるというか、そういう汚いものの上で成り立っているからこそアイドルは綺麗で可愛いんだろうなあ。と


これは、森本くんの件の時に呟いたもので、闇=アイドルを食い物にする大人たち、光=アイドルたちというような構図を思って呟いたんですけど、三宅くんはこの闇も光も、すべて自分ひとりで受け入れて進もうとしているのではないかなあ、なんて考えたりもしてしまいました。すなわち、汚い世界を知っている自分も受け入れて、それでもなおファンの前では「アイドル」たり続ける姿。今まではそのバランスがとても不安定で、見ていて辛くなることが何度もあったけれど、多分きっと彼は彼の中の闇と折り合いをつけて、あの代々木の360℃ステージで見事なソロ・パフォーマンスをしてくれたのだと思います。


V6も16年目になって、ソロのお仕事が沢山増えてきました。坂本くんはミュージカル、長野くんは食や車関係、イノッチはバラエティ、剛くんは舞台、岡田はドラマや映画など、それぞれの行きたい方向、外仕事の得意分野も明確になってくる中で、未だ三宅くんだけが「アイドル」であり続けようとしています。それは、彼の強烈なキャラクターが演技に向かないからとか、そもそも演技のセンスがあんまり無いからとか、こと演技仕事に関しては思い当たる節は色々あるんですけども、それでもやっぱり何より三宅くんが「アイドル」たろうとしているからなのだろうな、と思います。
三宅くんは、何よりもファンのことを考えてくれるひとで、何よりもV6想いのひとです。今や年に1回しか集まらなくなってしまったV6ですが、それでも集まった時すぐに皆がアイドルモードに切り替わることが出来るのは、365日「アイドル」としてV6という家を守っている三宅くんが居るからではないでしょうか。


三宅くんの、アイドル仕事が本当に大好きです。でもそれと同時に、早くこういうしがらみから解放されて、もっと等身大の「三宅健」で居れる場所が見つかればいいのに、とも思います。半ば宗教じみた独りよがりな発想ですが、三宅くんは私の宗教的発想よりも何倍も優しい気持ちでいつも私たちの幸せを考えてくれていて、だから私たちもせめてそのくらい彼に幸せになってほしいんです。もう私は三宅くん担当ではないけれど、本当に彼の幸せを願っています。ほんと、自分でも何言ってるのかよくわからないですけど。笑
多分、彼はファンがこういう邪推をすることを良く思わないと思います。でも、やっぱり好きだから、考えちゃうんです。


きらきら光るライトに照らされて、「悲しいほどにアイドル」という滑稽なんだか真剣なんだかよくわからないフレーズに合わせてステップを踏む三宅くんは、とてもとてもアイドルでした。でも、私が担当だった頃に彼に見出していた、等身大の不器用さ・頑固さも、決して忘れたくないなあと、私はピンクのライトに照らされた代々木の360℃ステージに立つ彼を見ながら、そんなことを思っていました。