さようなら

発表があったその夜にもう、冷静に(自分なりに)考えてこうやって思いの丈を綴ることが出来るくらいには、私はもう彼らに対して盲目的な愛しさを持ち合わせていなかったのだなと思い、なんだか不思議な気分です。

私は、NEWSのキーパーソンは内くんだったと今でも思っています。
小山っちがNEWSという家の屋根で、亮ちゃんが柱で、やまぴーが扉で、そして内くんがそれらを繋ぐ鎹だったと思っています。だから、私の中のNEWSは、2005年に死んだ。内くんがいなくなった瞬間に、家は崩壊して、私の中で死んだ。一度死んで生き返ってなんていません。ずっと死んだまま。私はもう、大好きだったNEWSの思い出を凍結させて、心のなかで冷凍保存して、たまに懐かしい気分になった時だけそっと温めて解凍して、落ち着いたらまた冷凍して、それを繰り返してきた。だから、私が去年ドームで見た6人のNEWSは、私にとってNEWSであってNEWSでない何か、だったのです。


でも、それでも、私はあのコンサートが心底楽しかった。
年末のジャニーズ大賞で、自ユニをさしおいて現場部門で1位にするくらいに、楽しかった。
6人のNEWSもいいもんだな、って、やっと、やっと思えた、コンサートだった。
私の中のNEWSは死んでるけど、世間はやまぴーがいる限りそこをNEWSだと思うんだろうし、一度死んでまた生き返る魔法をかけられてたみたいだし? だったら、これもNEWSなんじゃないかな。それもいいな、って、思った、のに。


私は、アイドルの物語は必ずしもハッピーエンドである必要はないと思っています。この場合の「ハッピーエンド」は、世間一般的に言う「ハッピーエンド」ね。メンバーにとっての幸せが必ずしもファンにとっての幸せであるとは限らないし、ファンにとっての幸せが世間にとっての幸せであるとも限らないから。世間一般から見てアンハッピーエンドでも、自分たちなりに納得した上で“綺麗に”幕を引けたら、栞を挟めたら、それでいいと思う。

でも、こんなのってないんじゃないの?と思ってしまった。
こんなぶつ切りってないんじゃないの?
作家が連載に飽きてゲームばっかりするようになって、担当とファンに催促されたから仕方なく重い腰あげて線画でぱぱっと10枚くらい描いて、それでファンが喜んだらまた休載して、みたいな。本人たちはいっぱい考えて、悩んだ上で結論を出したんだとは思うけど、あんな投げやりな発表の仕方、全然綺麗じゃない。ぽかんとしてしまう。何もない宇宙に、ぽんと身一つで放り出されてしまったような感じ。まっくらで、何も見えない。


でも、泣いてもわめいても決まったことです。
これから「NEWS」という称号は、小山っちと、シゲと、まっすーと、手越だけのものになるの。多分これでもう世間的にもNEWSは死んでしまったけれど、そこから立ち直るのは前よりも辛く苦しいと思うけれど、「解散」ではなく「山下・錦戸の脱退」という道を選んだ以上、彼ら4人にはNEWSの物語に“綺麗に”幕を引く責任がある。
がんばってください。


そして、脱退するふたり。っていうか、やまぴー。
亮ちゃんは、何となく、予感はしていたけれど、やまぴーさん。

じんじんが自由にしてるのが羨ましかったですか?
ソロコンが楽しかったですか?
斗真の誕生日の夜に、あなたは今何を考えていますか?


田舎で「神童」と称賛されたハンス・ギーベンラートは、神学校に2位の成績で合格したけれど、徐々に自分の生き方に疑問を感じ、やる気をなくして、遂には神学校を辞めてしまいました。
せめて、これから先のやまぴーの人生が、ハンスのようにならないことを願っています。
六本木で飲めるであろう「つよいびんづめのビール」には、くれぐれもご注意を。


私が人生で初めて握手したジャニーズは「NEWSの山下智久」で、一番最近握手したジャニーズも一応「NEWSの山下智久」だったんだけど、さてさて。



愚痴愚痴言っていても仕方がないことです。
おほしさま、ありがとうございました。