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財前光くんと彼にまつわる色んな人のこと(前編)

昨年末に始まったテニミュ四天宝寺公演も、キャストが一人も欠けることなく無事に大千秋楽を迎えました。
わたし個人としては、まず何よりこんなに通うことになるとは予想もしていなかったし(計14回観に行った…2桁は超えないようにしようと思ってたのに…)、テニミュでは初となる遠征もキメたし(仙台、楽しかったです!)色々と新しい扉を開いた2ヶ月半でした。

特に凱旋が始まってからは、キャストが日替わりネタや前/後アナで、こちらの予想をはるかに超えるような部分までそれぞれのキャラクターに肉付けをしていて驚きました。舞台上で演じられている「とある夏の日の全国大会準決勝の1日」だけではなく、そのキャラクターがこれまで13~15年間どんな人生を歩んできたのか、また、これから先どんな人生を歩むのか、までもが見えてくるような芝居をされていて、本当に素晴らしかったと思います。
原作のコミックスで、舞台上で、切り取られている時間は視点は彼らの人生という長い長い線のほんの一点に過ぎないんだというのを改めて感じました。

具体的に例を挙げて説明します。

四天宝寺には財前光くんというキャラクターがいます。中学2年生。今回の舞台では、佐藤流司くんが演じていました。その財前くんなんですが、原作では2~3言しかセリフがなくて、試合にもエントリーされてるんですが色々あって実質ほとんど出ないという、まぁいわばモブに毛が生えたようなキャラクターなわけです。
コミックスでもコマの端っこにいたりいなかったりで、正直原作を読んだだけではコマに描かれていないときの財前くんがどんなことをしていて、何を考えているのかなんて、まったく分からないんですよ。
でも、ミュージカルでは、試合に出てないときも舞台上に設置されたベンチに座って、仲間の試合を応援しないといけません。マンガのコマに描かれていない部分、原作にない部分を演じないといけないんですね。これってとっても大変なことだと思います。テニプリは、ファンブックとかアニメとかゲームとか、色んな方向に展開していて、それをかき集めれば原作以上の情報は得られるわけですけど、それでもキャラの個性を、考えていることを掴むにはまだまだ材料が少ない。あとはもう、役者の想像力が物を言う世界になるんですね。で、流司くんは、その想像力を働かせるのがとっても上手な人でした。

財前くんは中学に入るまでテニスの経験がなかったのに、テニスがとっても上手で「四天宝寺の天才」と呼ばれている、クールでちょっと厨二っぽい性格の男の子です。好きな映画は「アメリ」(←これ草生やしていいポイントだと思う)。嫌いなものは「魚の苦いところ」(可愛い)。で、今回の試合ではダブルス1に、3年生の忍足謙也さんとエントリーされています。
がしかし、本番の試合では謙也さんが同じ3年生の千歳千里くんに自分の出番を譲ってしまうんですね。これは謙也さんの色んな方面への優しさが導いた結果なんですけど、原作を読んだだけではこのとき財前くんがどんな気持ちだったかなんて分からないんですよ。

事前に謙也さんに言われて、オーダー変更があることを知ってたのか。
それとも、謙也さんは財前くんにも変更を内緒にしてたのか。

今回のテニミュでは、財前くんは事前に知らされていなかったという芝居をしていました。
四天宝寺、財前・千歳ペア!」とアナウンスがあったときに、謙也さんの方をバッと振り向いて「何で?」って目で訴え掛けるんですね。謙也さんはそんな財前くんに目を合わせようとしない。勝手にオーダー変更してしまった、気まずさがあったんだと思います。

謙也さんが千歳に出番を譲った理由は、「千歳が自分よりも財前よりもテニスが強かったから」です。
ここまで四天宝寺は対戦相手の青学に一勝二敗。この大会は先に三勝した方が勝ちなので、この試合は絶対に落とせない試合だったんですね。だから謙也さんは少しでも勝率を上げるために千歳を呼び戻し、自分は身を引いた。
しかし厄介なことに、千歳の得意技っていうのがシングルスでしか効力を発揮しないんですね。なので、この試合は結局「変則シングルスマッチ」になってしまいます。青学側は手塚・乾ペアなんですが、乾も下がって、手塚VS千歳の試合になるんです。

千歳の得意技「才気煥発の極み」がシングルスでしか効かないことは、謙也さんも財前くんも分かっていました。謙也さんが身を引くこと=財前くんも試合に出られないということ。これまでふたりで散々練習してきたのに、どちらも試合に出られない。謙也さんに至っては中学生活最後の公式戦なのに、です。これって結構残酷な決断だと思うのですが、財前くんもその条件を飲みます。だって四天宝寺のスローガンは「勝ったもん勝ち」だからです。手塚に勝つためには、千歳を出すしかなかったんです。

しかしそんな謙也さんのお膳立ても虚しく、千歳は手塚に押されてしまいます。この時に「天衣無縫の極みに一番近い男」という曲が入るんですが、この曲のラスサビ「お前は天衣無縫の極みに 一番近い男」という部分は、ステージ上にいる千歳以外の全員が(たぶん千歳も歌ってなかったはず、よく観てないけど笑)敵も味方も関係なく手塚に向けて歌います。四天宝寺の選手ですら認めざるを得ない圧倒的な手塚の強さ。皆が手塚の方を見ています。そこで一人だけ手塚の方を向いていないのが、財前くんなんです。

このことに気付いたとき、鳥肌が立ちました。
財前くんは、ステージ中央の奥の方で、悔しそうに握り締めたラケットを見つめて、最後に少しだけ、ほんとに一瞬だけ手塚を睨むようにして「一番近い男」の部分を歌います。口も小さく動かすだけで。
よく考えたら、悔しくて当たり前ですよね。色んな悔しさが混じっていたと思います。これまで練習してきたであろう謙也さんとのダブルスが出来なかった悔しさ。ダブルスなのにコートにすら立てない悔しさ。そのどちらも、千歳が自分たちよりもテニスが上手いから下した決断なのに、勝つための決断だったのに、その千歳が手塚に負けているという悔しさ。自分がもっと強かったら、テニスが上手かったら。そんな表情をしているように見えました。

この財前くんを見た時に、わたしの中の財前くんが点じゃなくて線になりました。今この瞬間だけじゃなく、財前くんがこれまでテニスを練習してきた過去、この悔しさを通して成長する未来。流司くんが演じる財前くんの「人生」が、ラケットを握り締めた拳に、手塚を睨みつける瞳に、宿っていました。


長くなっちゃったので続きます。