69回の「8月23日」を生きた"テニスの王子様たち"へ

テニスシューズが舞台の床を踏みしめるとき特有の、キュッ、キュッという音が好きだった。続いて小気味いい返球の音がして、スポットライトの光がボールの軌道を描く。舞台上で走り回る男の子たちを眺めていると、ああ、生きてるなぁって実感した。本当のテニスの試合を見ているわけでもないし、原作のキャラクターはあくまで「二次元」の中にしか生きていないのに、それでも生命のエネルギーをびんびん感じられるのは、たぶん皆が「本気」だったからだ。2011年1月から2014年9月までの4年間、81人の男の子たちが毎回「本気」で試合をして、「本気」で喜んで、「本気」で泣いていた。その、青い青い澄んだ「本気」に触れる瞬間、胸がぎゅうっと締め付けられる。

私が「ミュージカル テニスの王子様」に出会ったのは2013年7月。暑い夏の日だった。1年前のことなのに、ずいぶん昔のようにも感じるし、つい昨日のことのようにも感じる。友達に誘われて「青学VS氷帝」公演を観に行った。
正直、観る前まで私はテニミュのことを相当バカにしていた。酷い書き方になるけど、ただコスプレした顔がいい俳優が適当に歌って踊ってキャーキャー言われてるんだろ、くらいに思っていた。色んな事情があって、実は友達は「チケット代タダでいいから!」って無料で連れて行ってくれたんだけど、たぶん「定価払って」って言われたら行ってなかったんじゃないかなぁと思う。貧乏学生でお金もなかったし。

でも、いざ始まってみると、一曲目から私の目はステージにくぎ付けになった。
青春学園中等部のメンバーが歌う「THE TOP」という曲、とにかくこれが凄い迫力だった。ステージのカミテからシモテから、お揃いのユニフォームに身を包んだ男の子たちが全速力で駆けてくる。ステージ中央で、踊りながら、ラケットを振りながら、息も切らさずに歌う。アスリートみたいだ、と思った。一瞬たりとも目が離せない。

くぎ付けになっているうちに、どんどん試合は進んだ。試合中にケガをして、頭から血を流しながら戦い続ける熱い男の子がいた。試合中に側転したりぴょんぴょん跳ねたり、最後にはパートナーの背中を踏み台にして高く高く跳ぶ男の子がいた。純粋ゆえに相手の技をそっくりコピーすることができる体格のいい男の子もいたし、誰にも見えない糸で結ばれた絆を持つダブルスがいた。そして、王様と王子様の長い長いラリーが続いて、王子様が勝利した。

皆みんな「本気」だった。それが不思議だった。だって、これは原作付きのお芝居で、どんなに頑張っても勝敗は決まってる。「青学VS氷帝」は「テニミュ」の歴史の中でもかなりのロングラン公演で、全73公演あったんだけど、つまりそれは73回青学が勝って、73回氷帝が負けるってことだ。なのに、なんであんなに氷帝の人たちは「本気」で勝ちに行こうとしてるんだろう、って、不思議で仕方なかった。胸が痛くなりすらした。

そこが興味のきっかけで、そこからテニミュについて色々調べてるうちに、その答えが分かった。
役者が皆、「本気」でキャラクターの「今」を「生きてる」からだ。

原作を読んだことのある人は分かると思うけど、『テニスの王子様』に出てくる登場人物は皆「テニスバカ」って言ってもいいくらい、テニスのことだけを考えて生きている。どんなにつらい、苦しい思いをしても、みんなテニスが好きだから必死で戦ってる。初めから負けるつもりで試合に挑む子なんて、いない。
役者はそのことを理解して、だから60回も70回も「本気」でステージに立つんだ。そしてそのキャラクターの「本気」と役者の「本気」が合わさって、「2.5次元」で溶け合って、物凄いエネルギーになる。生命力が溢れてくる。

9月28日18時。いよいよ大千秋楽が始まる。他の舞台がどうなのか詳しく知らないけど、テニミュの大千秋楽日って独特で、開演前のアナウンスが終わってから幕が開くまでの間、客席がシンと静まり返る。だから、役者が幕の裏でアップしたり、板につく足音も聞こえたり、する。その緊迫感が好きだった。そうだ、今日は全国大会決勝の日。今日で全て決まるんだ。誰が日本一になるのか、誰が勝って、誰が負けるのか。公演は69回あったけど、この試合は「1回」しかない。キャストは皆、69回の「8月23日・全国大会決勝戦」を生きてきた。

芝居は、試合は、滞りなく進んだ。前楽からすでに感極まって上ずったり台詞に力がこもりすぎたりするキャストがいたので、最後はどうなるんだろう、と思っていたんだけど、物凄く皆自然体だった。特に良かったのがシングルス1、大石・菊丸の「青学ゴールデンペア」が歌う「最後のゴールデンペア」。菊丸役の麻璃央は結構涙もろいというか、感情が表に出やすい人なので、それこそ前楽では感極まって歌に力がこもっていたんだけど、楽はまったくの自然体で驚いた。二人の間には千秋楽の特別さみたいなものはなくて、あるのはひたすらシンクロしてテニスを楽しんでいる「喜び」と相手を思いやる「優しさ」だった。曲が終わった後、大石と菊丸がすれ違うときに、菊丸が大石に向かって口パクで「ありがとっ!」と言うところがあるんだけど、そこもいつもよりも丁寧な「ありがとう」で、こちらまで優しい気持ちになってしまった。そうだよ、悲しくなんてないんだ。だって大千秋楽は「おめでたい日」だから。卒業は「おめでたいこと」だから。今日はきっと笑顔で終われるなぁ。2幕が終わった段階で、私の心はだいぶ晴れやかになっていた。

そんな私の気持ちを180度ひっくり返したのが、3幕のシングルス1の試合だった。いや、試合というより、試合の決着がついたあと。越前リョーマ幸村精市の試合は、リョーマが「天衣無縫の極み」に至ったことで勝ち、試合は青学の優勝で幕を閉じる。皆が喜んでコートの中にいるリョーマのところに駆けていく。ひとしきり喜んだあとで、リョーマは幸村の方を向き、手を差し出す。この時の幸村役の神永くんの演技がまた秀逸で、いつからだったのかなぁ、凱旋公演が始まってからだと思うんだけど、ハァーーー…と静かに長く息を吐いてからリョーマと握手をするようになっていた。それはたぶん、幸村の怒りや悔しさを落ち着けるためのもの。この溜息が、大千秋楽ではひときわ長かったように感じて、その時初めて心が揺れた。幸村は、今まで69回、どんな気持ちで「敗けて」きたんだろう。この時、リョーマはステージ奥にいて、つまり観客側を向いていて、幸村は観客に背を向けているんだけど、握手を待つリョーマの後ろには青学メンバーが立っていて、全員で幸村を見ている。その青学があまりにも強そうすぎて、そこに一人きりで対面する幸村はどんな気持ちだっただろう、と改めて考えた。お客さんの中にも鼻をすすりながら泣いている人がたくさんいた。

ーーと、その時、ひときわ大きな鼻をすする音がマイクに乗って聞こえてきた。えっ、と思って、びっくりして立海の方を見ると、泣いていたのは、立海でただ一人の2年生レギュラー、切原赤也だった。ああ、そうか、悔しいよなぁ、と思った。だって、幸村は超えなきゃいけない赤也の目標だ。ダブルス2の時の「王者立海の三人のバケモノを倒して、ナンバーワンになるのは俺だ!」という赤也の台詞からも分かる通り。赤也の世界の中で、幸村と真田と柳は「テニスが一番強い三人」だったんだから。それがこんな風に、年下の生意気な少年に敗けてしまうなんて。

立海大附属、ありがとうございました!」
立海レギュラーメンバーが一列に並んで、客席に礼をする。赤也は相変わらずずびずび泣いていて、他の子も目が赤かった。皆悔しいんだ。そして幸村も悔しいんだ。でも幸村は泣かない。だって、部長だからだ。威厳があって、誰よりも強い、「王者立海」の部長だから。胸を張って礼をする幸村の、目はうるんでいて、唇は震えていた。でも、涙はこぼさない。

そのあたりで私もだいぶ感極まってしまっていたんだけど、最終爆撃はこの次だった。立海がハケた後に、青学のみんなが交互に胴上げして喜ぶ曲がある。胴上げされるメンバーは日替わりで、毎回胴上げされるときや降ろされたあとの小芝居が可愛くて好きなので双眼鏡で色んな子を見てしまう曲。さっきの幸村や赤也を見た後だったから複雑な気持ちではあるのだけど、この日も双眼鏡を構えた。

ここで私はまたえっ、とびっくりしてしまった。双眼鏡に飛び込んできた不二の目が凄く赤くて、涙が今にも溢れそうだったから。

不二役の矢田ちゃんは、何というかとても飄々とした人で、いつもニコニコしていて何を考えてるのかいまいちよく分からない。ここで例えば菊丸役の麻璃央や、桃城役の真修くんや、海堂役の達成が泣くのは、まぁその人たちの性格的にわかるんだけど、え、矢田ちゃんって、泣くんだ。って。そう思った瞬間に、こっちもぶわーっと涙が溢れてきてしまった。他にも泣いてる子はたくさんいたんだけど、普段泣かない子の涙って、ほんと反則。凄くびっくりした。

でも、この矢田ちゃんの涙も、キャストの涙であってキャストの涙じゃないというか。これも、「不二」の「嬉し涙」なんだなって思った。そこにぐっときた。涙を流す「演技」じゃないけど、役者の「素」が出たわけでもない、「不二」の「素」の涙で、つまり矢田ちゃんと不二がひとつに溶け合ってるってことなんだなって。凄く不思議な感覚だけど、キャラクターとキャストが溶け合って「生きてる」。
幸村も、赤也も、不二も、そういう風になれたのは、キャストが皆そのキャラクターに対して「本気」だったからだ。それを見て、私がテニミュにハマった本当の理由がようやく分かった気がした。私は、そんな風に舞台上で「本気」で「生きてる」彼らの、生命力のエネルギーに触れるのが、好きなんだ。

テニミュにハマって、1年とちょっと。毎日が凄く楽しかった。生命力の強い人たちが発するまぶしい光を、遠くから目を細めて眺めているのがたまらなく好きだった。本公演が終わっても、物語の中の男の子たちは今日もどこかでテニスをしながら毎日まっすぐに生きている。舞台を降りた男の子たちも同時に、まぶしい光をまといながら、きっと毎日まっすぐに生きていく。それぞれの未来に向かって。私は、そんなまぶしい光の生まれる場所を、知ってるんだなぁ。遠くからひっそり、眺めることができていたんだなぁ。それだけで凄く誇らしい気持ちになれる。そして、私も、毎日を頑張って生きていこうって思える。

ミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズン、本公演、本当にお疲れ様でした。

軋むテニスシューズの音も、
弾んだテニスボールのラリーも、
滲む悔し涙のきらめきも、
決まった勝利のポーズも、
全部ぜんぶ忘れないよ。

これからの皆の未来に、幸多からんことを。